〈コスモス通り〉
ハーモニカは苦手だった。
わざと幅狭く並べられた見えもしないそれぞれの穴をふき当てるのは、僕には目隠しでナイフ投げをするぐらい至難の技だったし、何に対しても感覚的にしか取り組んでこなかった僕には、コツを憶えて実践する粘り強さも足りなかった。
そんなわけで幼稚園の合奏ではシンバル奏者に立候補した。劣等感を感じずにすみ、しかも目立つという一石二鳥の選択だった。実は出番が少ない分かえって責任重大なパートなのだが、そのころの僕はきっと一生のうちで一番大胆なころで、失敗する事などまるで考えもしなかった。
果たして得意満面でその役をやり通した僕だったが、今更ながら後悔していることがある。そのとき演奏した曲を思い出そうとしても、シンバルを打つ寸前の最後のフレーズしか浮かんでこないのだ。ハーモニカを練習し真面目にメロディーを追っていたならばとも思うが、あとの祭りである。
味をしめたのか小学校の鼓笛隊でも僕の楽器はシンバルで、大太鼓と並んで指揮者のすぐうしろを行進した。当時その指揮者の女の子が好きだったこともあり、思い出せるのはバトンをふるうその後ろ姿ばかりで、やっぱり曲は憶えていない。
(画/1998年ごろ 文/2002年)