〈河童とプール〉
プールは泳ぐところだと、今も思っている。
そのため、銭湯みたいに込み合った遊園地のプールへ行けば途方に暮れるし、せっかく自分専用のプールを持っている人が、ただじっと日光浴している様子などを見かけるとまずは「もったいない」と思ってしまう。単なる貧乏性かもしれないが、泳ぐ以外の楽しみ方を、僕はまだ知らない。
へとへとに泳ぎ疲れると、体が水に溶け出すような気がしてくる。水から上がるのがなにやらすごくおっくうで、もともと自分が水の中で暮らしていたような気にもなってくる。
ここで水を選んだ子供がついには河童と呼ばれるものになっていったのかもしれない。そんなこわい空想をして、僕は何とか水からはい出すのだった。
中学で水泳部に入り、僕より長く泳ぎを続けた兄の手には、今でも少し水掻きのようなものが残っている。
(画/2003制作:原題「遠雷」
文/「都政新報」1996年6月25日号)