子供は大抵梅雨が嫌いだ。
遊び場は限られるし、長靴にカッパ、動きを邪魔する余計なものも着せられる。
長雨の湿った風情は子供に似合わない。
湿ったついでに、かえる、なめくじといったヌルヌルした連中が幅を利かすのも当時の僕を憂鬱にさせた。
いやいやづくしの梅雨の中、遊びにも出られず退屈な午後、眺める先の窓の外にはいつもあじさいの花があった。
雨あがりの虹の一部を前借りしたようなその色は、下に陣取る苦手な蝸牛のせいで近寄ってみた記憶がないことも手伝い、夢のような印象を僕に残している。
今まで花びらと思っていたものが、実はがくの変形だったことを最近知った。
蝸牛は、そんな僕を尻目に本当の花をいつも特等席から鑑賞していたのだろうか。目を伸ばして。
くやしいので今年こそ近寄って見てみたいと思う。
(初出「都政新報」1996年7月9日号)