あのとき凧を放してしまったのは、幼いからじゃなく、怖くなったからだ。
風の強い日にはよく凧を上げた。天高く舞い上がり、その姿がやがて見えなくなると、決まって僕は一人で空と綱引きをしているような錯覚に落ちた。
「凧は、僕を空へ連れ去るための使いじゃないだろうか」
ふとそう思った瞬間、糸から伝わる頼りない手ごたえが、そのまま僕と地面との結びつきの弱さに思え、僕は糸を放した。
空へ還ったはずの凧は、明くる朝、近くの空き地に落ちていた。任務失敗の責任を取らされたのかも知れない。
それからしばらくは糸を持たせてもらえなかったが、「つれて行けなかった」彼と「ついていけなかった」僕は、そのとき初めて友達になれた気がする。
ビルに切り取られた幾何学模様の空を見飽きたら、凧を上げたい。
あのころほどじゃなくても、きっと空はいつもより広く、そして近く感じられるに違いない。
(初出:「都政新報」1996年1月12日号/加筆後朝日新聞US版2004年元旦号に掲載※画像はいずれも異なる)